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Všichni moji blízcí 大好きだった人たち

チェコ映画 (1999)

ブラノ・ホリチェク(Braňo Holiček)が『鷹使いトマーシュ(Sokoliar Tomáš)』の前に出演した作品。ユダヤ少年役のため金髪を濃く染めているため別人のように見える。2015年7月1日に105才の長寿をまっとうして亡くなったサー・ニコラス・ウィントン(Sir Nicholas George Winton)の若い頃を描いた感動作であり、ブラノが主役というわけではない。チェコを代表する多くの名優が出演しているが、その中で、ブラノは全編を通して出演し、要となる役を演じている。なお、ウィントンはロンドンで株式仲買人として働いていたが、チェコスロバキアの情勢が緊迫化する中、難民の救出活動のためプラハ入りしていた。そうした中、1939年3月15日にベルリン入りしたハーハ大統領に対し、ヒットラーはチェコスロバキアがドイツに対し併合要請文を出すよう強く迫り、大統領は同日併合宣言文に署名し、チェコスロバキアは消滅。ウィントンは、ユダヤ人の子供たちをナチスによる迫害から救うため、イギリスでの里親探し、プラハからロンドンへの直通列車の運行費用の募金、ドイツ軍からの出国ビザの偽装発行などあらゆる手を尽くして、1939年3月14日から8月2日の間に8本の列車を仕立て669名の子供を脱出させた(9本目には最多の250名が乗車したが、この日イギリスがドイツに宣戦布告したため出発できなかった)。この人道的行為は1988年まで知られることはなかった。偶然、妻のグレタ夫人が屋根裏部屋にあった、ブリーフケースの中から大量の手紙を発見したことがきっかけで、BBC放送でウィントンと生き残って成人となった子供たちとの感動的な出会いが放映された。チェコは、1998年にウィントンをプラハの名誉市民とし、2002年にはエリザベス女王からナイト爵位が与えられた。2009年には発車しなかった最後の汽車の70周年を記念して「ウィントン列車」 が、プラハからロンドンまで運行された。ウィントンの晩年105の誕生日には、元首にしか贈られない勲一等白獅子勲章がミロシュ・ゼマン大統領から授与され「遅すぎたが、贈れて良かった」 と語らしめた。

前置きが長くなったが、映画の中でウィントン本人の行った行為は史実だが、登場人物は全くのフィクションである。ユダヤ人一家の家長である祖父母は田舎に住み、長男ヤコブ・シルバーシュタインは豪華な郊外別荘を借りて医者を開業、サム(世界的なヴァイオリニスト)、レオ(ユダヤ教の聖職者)、マルセロ(売れない発明家)、マックス(サーカスのピエロ)など様々な職業についた弟がいる。ブラノ演ずるダビデはヤコブの一人息子である。映画の前半は、裕福なヤコブ一家の日常と、サムのあまりにも年の離れた女性との恋愛が中心となるが、ナチスドイツがチェコを併合すると雰囲気ががらりと変わり、事態は悪化の一途を辿る。ナチスとユダヤの映画は多いが、このような切り口のものは例がなく、先細って行く可能性の中でせめて息子だけでも助けようと思うに至るまでの両親の葛藤が見ていて涙ぐましい。

ブラノ・ホリチェクは、撮影時13才。全編を通じて要所要所に顔を出し、演技も自然で、上品な美少年といった感じが、次の『鷹使いトマーシュ』とは違った魅力だ。


あらすじ

映画は、プラハ駅のプラットホームから始まる〔ラスト・シーンも同じプラットホーム〕。ロンドンからの直行列車から降りてきたのは、ロンドン公演を終えた世界的バイオリニストのサム・シルバーシュタインと、車内でずっと一緒だった若いニコラス・ウィントン。「ウィントンさん、お陰で楽しい旅が」。「光栄です、シルバーシュタインさん。お会いできて幸いでした」〔黄色の字幕は、英語での会話のため〕。駅には、ヤコブ・シルバーシュタインが、息子のダビデを連れて迎えに来ていた。ダビデ:「サム叔父さん! こっちだよ!」。サム:「やあ、ここで 何を?」。ヤコブ:「みんなで親睦会を開こうかと」。サム叔父は、「ダビデ、ロンドンのお土産だ」と言ってライカを渡す。「甘やかしちゃ困る」。「ありがとう、サム叔父さん。ずっと欲しかったの」。
  
  

ヤコブは、サムを車で郊外の自宅に連れて行った。そこはヴィラと呼ぶに相応しい豪華な別荘風の建物で、実業家のシュタインから借りていた。しかし、帰宅するとそこにシュタインがいて、アメリカに移住するから安く売ってやると持ちかける。現在の金額に換算して原価1億円の家を3000万円で、しかも、全額ローンでという好条件。実は、このままチェコスロバキアにいると危ないという情報から、安値でも売り払って移住するという魂胆だったのだが、ヤコブはそんな事とは知らず、うまい話だと飛びつく。家には、一族の懇親会でマックスを除く弟妹が集まっていて、サム叔父からもらったライカで、記念写真をパチリ。ここで映画のクレジットが流れる。
  
  

ダビデは、同じユダヤ人で、貧しい行商人を父に持つソーシャと大の仲良しだ。学校の帰りもいつも一緒。ある日、花屋の前で仲良し振りが冷やかされ、殴り合いになるが、ソーシャに助けられる。鼻血を出して帰宅するダビデ。
  

父に、「やられっ放しか?」と訊かれ、「ううん、ソーシャが反撃を」。その頼りなさにがっかりした父は「それでも男か?」と言い、ダビデを鍛えることにする。体操をしたり、庭を走って一周したりの毎日。なかなか進歩が見えてこないので、ダビデもげんなり
  

ダビデの母イルマは、昔オペラ歌手になりたかったが歌を禁じられた経験があり、ダビデにはピアノやヴァイオリンを(無理矢理)練習させていた。そして内輪の演奏会で自分も歌おうと猛練習をしている。ダビデも、しぶしぶヴァイオリンを弾いていると、ソーシャが来たので大喜び(1枚目の写真)。ヴァイオリンなんかやめて、ソーシャと一緒に食品の貯蔵室へ。そこで、ソーシャはダビデに目隠しし、置いてあった大切なジャムの封を次々と破り、指でダビデの口にジャムを入れては果物を当てさせる。「これ、なーんだ?」。「アプリコット」。「赤スグリよ。また、間違えた」「じゃあ、これは?」。「ピーチ」。「グースベリー。全部違ってる」「最後よ」。「サクランボ!」。「やっと、当たった」。「ちゃんと、当たったろ!」。そこに、ダビデの母が。ヴァイオリンの音が止んだので、不審に思って見に来たのだ。そして、大切な手作りのジャムをめちゃめちゃにされ、激怒する。
  
  

一方、ヴァイオリニストのサムは、倍以上も年の離れたアレンナと付き合っていた。しかし、彼女は非ユダヤ人。気難しい父が結婚に賛成するとは思えない。そこで兄のヤコブに、月に一度父の家で一族の集まる安息日の食事の際に直談判したいと打ち明け、口添えを頼み込む。「非ユダヤ人だな? 父さんとレオの奴は、絶対 認めないぞ」(レオはラビの弟)。「だから、ここに来たんだ」。安息日の日、橋を渡って父の家に向かう一族(1枚目の写真)。それを遠くから見ながら、サムはアレンナに婚約指輪を渡す。父の家に着き、父とレオに対峙するサム。父:「お前が最初だな、信仰の異なる女性との結婚を、言い出したのは。これは、重大な問題だ。十分考えたのか? 早まっては いけない」。サム:「父さん、彼女は優しくて素敵ですよ。それも、重要な事です」。レオ:「格言にある。『土地は買い急げ。だが、妻選びは慎重に』」。サム:「私は30年待った。時の経つのは早い。私はもう、若くも賢くもない」。ヤコブが援護して、「サムが、独身で終わって欲しいのか?」とレオを諌める。しかし、レオは頑なだ。「父さんは正しいよ、サム兄さん。道を10回尋ねる方が、道を見失うよりはいい」。サムが怒りをぶつける。「お前の お説教、知ったかぶりには、うんざりだ! 時間は、過ぎていくんだ!」。ところが父は、「我々は、ここに仲良く集まっている。良かれと話したのに、お前は弟を侮辱した」。「まただ、いつだってレオなんだ。偉大なるレオ。父さんは、『レオは、わが人生の喜び』 と自慢げに言うが、僕の事は見向きもしない。もう慣れたけど」。世界的バイオリニストと一介のラビ。価値観の相違だ。しかし、最後には、サムの「結婚を認めて下さい。意志に逆らって結婚したら、悔いが残りますから」の言葉に父も折れる。その夜の安息の日の食事会には、アレンナ(2枚目の写真の右端)も加わることができた。
  
  

ダビデよりかなり年上の姉のヘドヴィカは、付き合っている医学生を、自宅に呼んで両親に会わせる。結婚相手として承諾してもらうためだ。しかし、優秀な医学生ということでちやほやされ、うっかり口を滑らせてしまう彼氏。「正直に言いますと、僕たち移住するつもりです。パレスチナへ」。彼氏はシオニストなのだ。父は、「娘を、君の新天地に連れて行くだと? 失望だ!」「我が一族はここに住んで永い。だから、君も住むのだ、ここに。ヘドヴィカは ここに留まる」「君が、娘を愛しているなら、従って欲しい。嫌なら、出てってくれ」。まさに最後通牒だ。この言葉に強く反発した彼氏だが、後でヘドヴィカから、「妊娠しちゃったの」と打ち明けられ、結婚せざるを得なくなる。結婚式、そして、宴会。それが済んで、母から余興として、ピアノを披露するように言われたダビデとソーシャは、代わりに今流行の歌だと自慢し、「ドイツ労働者党党歌」を歌ってしまう。実は、庭師のドイツ系チェコスロバキア人から、行進曲を希望し、教えてもらったのだ。帰宅して、庭師を叱り飛ばす父。「ナチのチンピラどもの歌を、ダビデに教えるとは! 何かの手違いだとは思うが、さもなくば、君は、即刻クビだ!」。庭師は謝ったものの、ドイツの影響が大きくなっていたご時世なので憮然とした表情だ。
  
  

事態は、思わぬところで急展開する。サムは、アレンナの父である銀行家に呼ばれる。銀行家は、「ヒットラーは、先日宣言しました。戦争が始まったら、すべてのユダヤ人を、ヨーロッパから一掃すると」「ご自身の事ですぞ」。そして、「女性に “過去” は不要ですが、男性には “未来” が必要なのです」「あなたに “未来” は…」。ここでサムが口をはさむ。「娘さんは、私を愛している。それに、棹差す おつもりか?」。「これは、“愛” の問題ではなく “命” の問題です。娘の命の!」と言う銀行家。サムは、「アレンナは大人です。本人の決断に任すべきでしょう」。呼ばれたアレンナは、「ごめんなさい、サム。私たちの関係は終わったの。あなたの事は愛してる。でも… 怒らないで… 縁がなかったの」。返された婚約指輪は、サムの手から床に落ち、むなしく響く。
  

一方、ダビデとソーシャは、自宅の温室で2人だけで結婚式を行う。「ダビデ・シルバーシュタイン、ヤコブ・シルバーシュタインの息子と、ソーシャ、クライン氏の娘は、1939年3月10日結婚する」「新郎は、以下のことを誓う。妻を見捨てず、責任を持って、十分な食べ物と住む家と美しい服を与え、決して悲しませない」。こう読み上げると、キスをし、伝統にのっとりグラスを割ってお祝いする2人。
  
  

そのわずか5日後、チェコスロバキアは消滅し、プラハにも大きなナチの垂れ幕がかけられる。娘婿が、「現在、国境線はすべて閉鎖されています」「残された道はただ一つ、 スロバキアからドナウ川を黒海まで下り、パレスチナに向かうのです」と進言する。母は、「妊娠した娘を連れて? 船倉で、赤ちゃんが産まれるかも しれないのに? どうかしてる」と大反対。父は、「私は、どこにも行かん。両親を、置いて行けない。誰が、何と言おうとも」と拒絶。しかし、事態はどんどん進む。ある日、ヤコブに一通の手紙が届く。それは、ユダヤ人の医師には保険医療を認めない旨の通達だった。患者の半数を失い、留まることに疑問を持ち始める。「シュタインの奴め。ウチも逃げるべきだった」「どうやってローンを払う? 患者の半数を失ったんだ」。しかし、妻は、「なぜ、逃げなくちゃいけないの?」「魂までは、奪えないわ」と抵抗する。しかし、情勢はさらに悪化し、庭師が目録を作って欲しいと言い出す。「ユダヤ人の財産目録ですな。移動・売買の防止のためです」。「だが、私は、何一つ 売ってないぞ!」。「知ってますよ、先生。でも、ドイツ軍が そう決定を」。「なぜ君が、こんな役回りを?」。「任命されたんですよ。この家の、目録作成係に。赤の他人が 来るよりは、いいでしょ? ほんのちょっぴり、書類に書き込むだけです」。それに対し、「指図される謂れはない。引き払ってくれたまえ」と拒絶するヤコブ。書類を置いていくので、記入しておいて欲しと言って渡された紙を破り捨て、「二度と、足を 踏み入れるな!」と怒鳴る。それに対し、庭師は、「お好きなように、ルバーシュタインさん」と、わざとドイツ語風に発音して出て行く。
  
  
  

一方、サムは、ユダヤ人であることから、一切の演奏活動を禁止されてしまう。そこに英国大使館で演奏して欲しいとの依頼が入る。「謝礼は?」の問いに、マネージャーは「無報酬。ウィントン氏のチャリティ・パーティです」と言われて無視しかけるが、「彼は、ユダヤの子供達を英国に送り、ドイツ軍は、それを黙認しています」の言葉に、「素晴らしい」と承諾する。大使館では、サムの演奏終了後、ウィントンが地元プラハの上流階級の人々に、緊急の財政支援を嘆願する演説を行い、拍手で賛同を得た。サムはこの機会を捉え、甥のダビデを何とか汽車に乗せて欲しいと頼む。ウィントン:「ご両親も、同意を?」。サム:「分かりません。反対するかも」。ウィントン:「では、説得しないと」。
  
  

忙しい中、ヤコブの自宅まで出向いてくれたウィントンが、「ヨーロッパが、危機的状況にあります。いつ、全面戦争が始まるかも。今、サインすれば、息子さんは、来月 出発できるのです」と言ってくれるのだが、ヤコブは、「ウィントン氏に、心からの感謝と賛辞を、伝えて欲しい。だが、私の家族は、ここで一緒に暮らす」と拒絶。あきれるほど、情勢に疎く頑な人物だ。しかし、その数日後、ヤコブの家にはドイツ軍が来て車を接収していった。「パパ、ウチの車だよ。盗んでった! 警察に届けないの?」というダビデに対し、「最近は、警官が泥棒の味方をするんだ」と答える父(2枚目の写真)。そして、元・庭師がドイツ兵と一緒に財産管理人として乗り込み、貴重品を1点1点タイプで打つという屈辱的な事態に(3枚目の写真)。
  
  
  

サムは、マネージャー(ユダヤ人)に、パリ行きのビザや切符の手配をさせていたが、費用が10万コルナ(約1000万円)かかると聞いたので、接収前にバイオリンを売り、そのお金を渡して手続きを進めるよう依頼した(1枚目の写真)。ところが、翌日、切符を取りにオフィスに行くと、秘書が「発たれました」「パリです」「奥さんと」と言う。部屋に入って机を調べると、中には一通の走り書きが入っていた。「人生は無慈悲で、人間は弱い。お許しを」(2枚目の写真)。
  
  

何もかも失くしたサムは、プラハ市内中心の高級ホテルで白ワインを空けると、おもむろにヤコブに電話をかけ、「私は、騙された」「ダビデだけでも、救ってやれよ」とだけ言って電話を切り、拳銃で自殺する。一族が集まり、しめやかに行われるサムの葬儀。それを遠くから見ているアレンナ。
  
  

サムの遺言に意を決したヤコブは、ダビデのイギリス行きを頼みにウィントンに会いに行こうとする。それを必死で止めようとする妻。「あの子は、どこにも行かせない。あの子、母の家より遠くに行った事がない。それを、一人で外国にまでやるだなんて。見ず知らずの家族なのよ」。「いいか、最後のチャンスなんだ!」。「でも、まだ、ほんの子供なのよ。それに、英語だって全然話せないし。きっと絶望して、途方にくれるわ」。「もう、決めた事だ。サムの遺志でもある。信じなさい。すべて、うまく行くさ。心配するな。家に戻りなさい」。そう言って、門を出て行った夫。「もう、二度と会えないかも」と一人つぶやく妻。映画の中で一番涙を誘うシーンだ。
  
  

ウィントンから最優先でのイギリス行きの承諾を得て、家で準備するダビデ。父とのかけっこに初めて勝って、お祝いにと長ズボンをもらい満面の笑みを浮かべる。「ありがとう、パパ!」。「はいてみよう。英国の子供達も感心するぞ」。「どのくらい、向こうにいるの?」。「お前が英語を覚えるまで。そしたら、私達に教えられるだろ」。母は日記帳を渡し、「これから、毎日書くのよ。どんな細かな事も、全部書いてね。後から、皆で読めるでしょ」と話す。「ありがとう、ママ」「ヴァイオリン、持って行かなくちゃ ダメ?」。父は、「もちろん。それが、スミスさんに選ばれた理由だろ。何せ、音楽一家だからな」。「ちゃんと練習するのよ!」と母。「ソーシャも、一緒に来る?」。「 もちろん」。「離れないって誓ったんだ」。「いつか、結婚するのね」。「もう結婚したんだ」。
  
  

1939年8月2日、ダビデたちはプラハ駅にいた。登録されているリストと照合し、名前があれば番号札がもらえる。ダビデは373番。しかし、一緒に行くはずのソーシャの名前がリストにない。ウィントンに来てもらって確かめるが、手違いで漏れてしまい、次回には必ず載せますとの返事。内々に結婚までした2人なので、ダビデは、「ソーシャがいないなら、僕、行かない」と言うが、「お前が 先に行けば、ソーシャを案内してやれるだろ」と言われしぶしぶ乗り込む。「ダビデ、待っててね」。「待ってるよ、ソーシャ」。
  
  

結局、次の列車は出なかった。1939年9月3日、9番目の列車がプラハ駅に入線し、これまでで最大の250名の子供達が乗車したが、その日、イギリスが ドイツに対し宣戦を布告したため発車が差し止められたのだ。そして、映画の最後に、「大家族の中で、生き残ったのは私一人だった」「両親が亡くなった時、二人にとって唯一の慰めは、私が生きている事だったそうだ」というナレーションが入る。重い言葉だ。最後に、ウィントン氏を讃え、ネット上から選んだ写真を1枚添える。105才のウィントン氏が勲一等白獅子勲章を受けた時の写真である。
  

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